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【自転車と諸々と】FEDー5B②

1982
大宮店【閉店しました】】新井 絢也 16年09月04日

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以前修理したFEDですが旧ソ連製レンズを手に入れたので、先日BROMPTONで撮影に出かけました。 


 

今回使ったレンズはJUPITER-8 50mm F2。

FED純正のレンズでは有りません。

3群6枚CarlZeiss Sonnarのコピーです。

Lマウントレンズは人気で全体として値段も高め。

しかし旧ソ連製レンズはお安めです。

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シリアルからすると60年代製のようです。

ソ連全盛期のころですね。

富士山みたいなロゴはKMZ(クラスノゴルスク機械工場)のロゴ

ゾナーのコピーといってもまがい物というわけではなくれっきとした(?)本物。

ツァイスの設計と技術者により作られています。

WWⅡの終盤にアメリカ、ソ連はドイツⅡ進行しましたが、その際様々な機械設備や技術者を自国に連れ去りました。

光学関係で最先端であったツァイスもその例に漏れず、アメリカとソ連にドナドナされました。

ソ連のウクライナに連行され作られたのがコンタックスコピーで有名なKievであり、ウクライナに連行されなかった東独の技術者達がVEBとして立ち上げたのが東独カール・ツァイス(カール・ツァイス・イエナ)です。

一方西側に残ったツァイスの人間は西独カール・ツァイス(ツァイス・オプト)を立ち上げやがてツァイスの正統を争うようになります。

ここらへんは戦勝国の利権が絡みややこしいことこの上ありません。


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今回は五色不動巡り。

五色不動として扱われるようになったのは明治待つ以降のようですが、それとは別にそれぞれが大変古い由来を持っています。

東京の五色不動は目黒・目白・目赤・目青・目黄×2の5種6個所。

まずは埼玉に一番近い南谷寺から。

熱い中長い距離を走りたくはないので日暮里までは輪行で行きました。

こちらのお寺には目赤不動が祭られています。

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目赤不動はもともとは赤目不動と呼ばれていたそうです。

寛永年間に三代将軍家光が鷹狩の途中に動坂の庵に寄った際に目黒・目白不動に対し目赤と呼ぶべしと命じ、かつかつ現在の地を与えられたそうです。

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六地蔵尊。

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大きくはないお寺ですが境内には多くの石像が配置されていたのが印象的でした。


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目白不動が祭られている金乗院。

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不動堂は現代的な風情。

金乗院はそのものは天正年間創建ですが、目白不動尊はもともと東豊山浄滝院新長谷寺の本尊であったもののWWⅡの戦災で廃寺となり金乗院に合寺されたそうです。

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刀剣供養のため寛政12年に造立された鍔塚。

寛文6年(1666)造立 

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保護の柵が無粋な倶梨伽羅不動庚申。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は標準通りですが、通常の青面金剛ではなく倶利伽羅龍が刻まれた珍しい庚申塔。


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熱さのあまり水場が恋しくなりますが都心の川はドブ臭いだけで涼しさを感じられません。


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目青不動を祭る教学院最勝寺。

目黄不動を祭る最勝寺とは同じ呼び名で少々紛らわしいのか教学院と呼ばれることが多いようです。

長元年に玄応和尚によって紅葉山付近に創建されました。

現在地には明治42~44年に移転しました。

目青不動そのものは正善寺の本尊でしたが、正善寺の廃寺に伴い当時青山南町にあった教学院に遷されたものだそうです。

飾り気はなく質素な感を受けました。

秘仏のため前立ちの不動尊を拝することになります


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目黒不動を祭った瀧泉寺。

目黒の地名は目黒不動に因むという説もある程には由来の古い不動尊です。

寺伝によれば大同3年(808年)に円仁が不動明王を安置して創建したといいます。

甘藷先生こと青木昆陽の碑と墓がある事でも有名。

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独鈷の滝の 水かけ不動。 

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今回訪れた中では最も大きなお寺。

境内にはバス停もありました。


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江戸五色不動において目黄不動は永久寺と最勝寺の二つを指しますが今回は最勝寺に行きました。

正式名称は牛宝山明王院最勝寺。

6~7月にかけては美しい蓮の花が見られます。

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接写を試みたのですがピンボケ気味。

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FED-5Bはレンジファインダー機でありながらフォーカルプレーンシャッターのためレンズ交換が簡単に行えるメリットが有ります。

ただし旧ソ連製カメラらしく遮光は強くないようなので、レンズの交換の際は日陰に退避するなど気を使ってあげる必要があると思います。

また同時にシャッターショックはレンズシャッター機より大きく感じます。

複数のレンズを所持していないとメリットは感じにくいカメラですね。

レンズ交換にメリットを見出せるかどうかでFED-5Bの評価が決まると思います。

ボディは大柄ですが無駄な突起が少なく丸みを帯びている分携帯性は悪くありませんでした。

古いバルナックライカコピーに比べ操作性もよく使いやすいカメラだとは思います。

ファインダーが見やすく、ボディーが大柄な分各操作部の配置にも余裕があります。

今回のサイクリングは7月末に行ったのですが、なんだかんだ後回しにしていたら9月になってしまいました。

フィルムをパソコンに取り込むのが面倒でついつい放置してしまうんですよね。

なるべく早めにアップしようと思うんですが…。


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