「長い!!」
と、苦情?があったりしましたが
梅林、不死鳥のごとくグランフォンドを走る【BIANCHI】
体調最悪ながらも、どうにか本場イタリアのグランフォンドを走り切った梅林。
前回、「公式の写真が買えない!」とボヤいていましたが
買えました。
なぜか、カメラ目線。
こんな感じの、公式のお知らせも
購入できました。
「どうせ、美味しいもの食ってきたんだろ」
とか言われますが
レース後の、ビアンキの本社スタッフとの交流夕食会も
本場の石窯ピッツァでしたが
無理を押してのレース出場で、体が受け付けず
せっかくのピッツアも半分以下しか食べられず。
期間を通して、ピッツァとハムと
軽いペンネしか食べた記憶がありません。
レースの翌日は、ビアンキの本社へ
ゲートからして、いきなりチェレステに染められた建物が
待ち受けます。
看板もチェレステ。
建物の入り口には
ぅうおおおおお・・・・・くぁwせdrftgyふじこlp!!!
もはや、声にもなりませんが
伝説的な英雄、
マルコ・パンターニの 実車
そして、ビアンキを駆ってきた名選手たちが出迎えてくれます。
この実車、細部を見ると
色々と違うのですがせっかくなので一枚。
パンターニってぇと、あれですからね。
我々の世代には、絶対的な象徴であり
梅林が自分を「クライマーである」と勘違いする決定的な出来事を
起こした選手ですから。
98年のダブルツール達成。
山岳ステージでの、誰もが
「パンターニがアタックをかける」と予感している状況での、
電撃的な加速で全選手を振り切っていた姿は今でも脳裏に焼き付いています。
そのあと、99年以降はアレで豪腕さんの時代がやってきて
2000年のモン・ヴァントゥーの頂上ゴールでは
例のあの選手の上から目線の言動で物議を醸したり・・・
奥へ、進んでいくと
MTBのXC最強の選手
ジュリアン・アブサロンの
オリンピックの金メダルを獲得した時の車体があったり
出場時のゼッケンもそのまま(たぶん)
2004年というと、自分としては割と最近な気がしますが
今では、XCのコンペティションなマシンは
フロントの変速がシングルですが
この頃は、トリプルだったり
ブレーキが、ディスクじゃなかったりします。
ワイズロード横浜店の、水野店長が
めっちゃドヤ顔で紹介するのは
イタリアの、そしてビアンキにとっての
最初の英雄、ファウスト・コッピの実車。
豆知識ですが、いまでも
「王者の中の王者」を意味する
「カンピオニッシモ」として表現されるのは、このコッピだけ。
そして、ジロ・デ・イタリアでのその年の山岳の
最高地点を意味する、「チマ・コッピ」も
ファウスト・コッピが語源だったりします。
もちろん、マシン以外でも
1986年の、世界チャンピオン
モレノ・アルゼンティーンのアルカンシェル。
ちょうど、1987年のリエージュ・バストーニュ・リエージュの
出場証がありましたが
アルゼンティーンは85年から87年まで
もっとも古いクラシックレースを三連覇してるわけなので
まさに、このジャージで勝っているわけです。
ミュージアム的な要素ばかりでなく、
現代の倉庫に向かいますと・・・
ずらっと並んだ、この車体
ロベルト・ヘーシンクを始めとする
ロット・ユンボの選手たちの練習用のマシン。
メモに細かく、ホイールなどの仕様や
ポジションが記載されてました。
ワイズロード大阪店の、奥村店長も圧倒される
凄い、出荷待ちの車体たち
「レパルトコルサ」と銘打たれたマシンたちは
ここで、塗装され
こんな感じで、待機して
こんな感じで、イタリアの職人たちが
一台一台、丁寧に組み立てしてくれます。
不用意に近づくと
「そこのちっこいジャポネーゼ、入ってくんな!!」
と怒られます。
よく見ると、ロット・ユンボカラーの
オルトレXR2。
ぜひ、日本での入荷が待たれます。
これら、「レパルトコルサ」モデルは
専門店でしか手に入りません!!
(当たり前だ)
Y's Road名古屋本館は、レパルトコルサ・ストアですので
ぜひ、お問い合わせください!!
たまには、こんなもので遊んでみたり
社員食堂で、ビアンキ社員一緒に
お昼を頂いたりしました。
こういった、社員の食堂にも
チームの(ちょっと古いけど)
タペストリーがかかっていたりすることに
ビアンキが自分たちのブランドを思った以上に
大事にしていることを感じられました。
さて、次回はミラノの街に繰り出します
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
お楽しみに!!